2015年11月
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2015/11/16(月)

トヨタの中国新工場 投資ゼロ円 いつでも撤退姿勢

21:16

トヨタの中国新工場 投資ゼロ円 いつでも撤退姿勢

トヨタは反日暴動以降、中国で上げた利益以外の投資をしていない
中国国内で人民元がクルクル周っているだけである
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引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/7c/c7c785b19ccc109e4ed105c633dcc838.jpg


トヨタが販売台数世界一から陥落し、代わりに中国市場で躍進したVWが世界一の座に就いた。

トヨタは中国市場を捨てて、あえて世界一競争から降りた。


世界一から降りたトヨタ

トヨタが3年ぶりに中国で新工場を建設し増産体制に入ったというニュースが駆け巡った。

その少し前、2014年の世界販売台数でVWがトヨタを抜いて世界一になったというニュースが流れた。
トヨタの2014年世界販売台数は1016万台だった。
トヨタは前年比0.3%増に対し、VWは前年比3%増の、1019万台だった。

トヨタの総力を挙げれば3万台くらい”売った事にして”自社買いでも何でもして世界一になれた筈だが、何の抵抗もしなかった。

むしろ世界一から落ちるのを望んだように見える。

両方のニュースを分析して『世界一を奪われたトヨタは焦っている』やっと重い腰を上げて中国を重視し始めたといった解説がなされた。

ドイツのVWグループはゴルフで有名だが、大衆車を生産するありふれた自動車メーカーに過ぎなかった。

それが短期間に買収攻勢を掛けて他社を次々に傘下に入れ、売上を倍々ゲームで増やしました。

現在ドイツの自動車メーカーでVWグループでないのは、BMWとメルセデスだけになった。

VWはまた1980年代から中国市場を重視し、現地生産に熱心に取り組んでいた。

2014年、VWの中国販売は368万台で2年連続の首位に立ちました。

VWの世界販売に占める中国の比率は35%に達している。
トヨタの中国販売は100万台で、わずか10%に過ぎない。



新工場の実体は

まず中国新工場への投資額は同時に発表したメキシコ1200億円に対して、中国は約525億円と半分以下でした。

まず敷地は新たに取得するわけではなく、既存工場に隣接する空き地だという。

生産ラインは1ラインに過ぎない。

生産規模は年間約10万台で、今までの103万台の1割に相当する。

大きく見えるがVWの中国生産が360万台なのを思い起こせば、増産というより現状維持と受け取れる。

本気でVWのシェアを奪いに行くなら、数十万台から100万台の増産があってもおかしくない。

さらに新工場の稼動は3年後で、その前もその後も、生産増加のための対策は特に無い。

新工場への投資額525億円についても、合弁相手の広州汽車集団が半分を出資し、さらに中国トヨタは合弁会社なので、トヨタの持分はその半額の約100億円でしかない。

さらに新工場投資は、中国で稼いだ利益の再投資で賄うので、トヨタ本体の負担はゼロ円なのである。

増産に乗り気なのは中国の合弁相手だけで、トヨタは「金は1円も出しませんよ。それで良ければ勝手にどうぞ」の姿勢である。

中国では年間2500万台が売れるが、生産能力は5000万台もあり、完全に過剰生産になっている。

そこで増産しても利益は望めないという計算である。



中国軽視のトヨタ、重視のVW

中国でもトヨタブランドは価値が認められているので、売ろうとすれば売れる筈だが、まったくやる気がない。

2012年の中国における反日暴動、日本企業打ちこわしからトヨタははっきりと中国軽視の姿勢を見せたが、これ以前からトヨタの中国依存度は他社より低かった。

理由として考えられるのは、中国は進出した企業の特許や商標権、ブランド、企業秘密、技術的成果を奪い取ろうとする。

中国に進出したら最後、数十年掛けて開発した成果を根こそぎ奪い取られる。

トヨタはハイブリッド車など技術を重視する企業なので、これらを明け渡すのは論外であった。

ハイブリッド車も特許が切れるまで中国での生産を見合わせている。

反日暴動も影を落としたが、外国企業の権利が保護されない事に警戒心を持っている。

例えば中国でいくら儲けても、そのお金を国外に持ち出す事はできない。

中国市場が拡大している間は良いが、縮小し始めたら人民元など使い道が無い。

中国から撤退する外国企業が相次いでいるが、撤退しても資産を国外に持ち出すことができない。

中国から撤退する時は、全てをドブに捨てて出て行くしかない。

また中国には厳密には外国企業が1社も存在せず、現地企業になっている。

中国のトヨタは、トヨタと現地企業の合弁会社に過ぎず、意思決定権は中国側にある。

中国に進出して依存度を高めた企業は、企業の存亡を中国人経営陣に握られてしまうのである。

合弁企業の経営陣や重役の中国人というのは、要するに共産党から送り込まれた、政府の目付けのような連中である。

こういう不自由さがトヨタの中国軽視の原因になっている。

「世界経済」カテゴリの最新記事

http://thutmose.blog.jp/archives/30357450.html転載
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2015/11/16(月)

競球の山本意致朗に騙された!?

競球の山本意致朗に騙された!?

先日「KKCの山本一郎と競球の山本意致朗」という記事を書いたら、さっそく騙されたという人達から電話で問い合わせがあった。...

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2015/11/15(日)

ケント・ギルバート、日本国憲法の何が異質なのか?[

2015/11/13 に公開
日本の伝統と文化を尊重し、真に国益を考える数多くの志士達が、自らが国政に臨むこと­で日本再生に懸けようと奮起している。その志と問題提起を、じっくりとお聞きしていく­対談番組。偉大な作曲家にして真の愛国者・すぎやまこういちによるプロデュースでお送­りします。

聞き手:中山恭子(参議院議員・次世代の党代表)・すぎやまこういち(作曲家)
ゲスト:ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士)

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千­人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、­全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
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2015/11/15(日)

【中国の台湾属国化】【台湾CH Vol.107】習近平が仕組んだ台中首脳会談と台湾国内の反発[桜H27/11/14]

2015/11/13 に公開
【日台交流頻道】【日台交流頻道】第107集,馬習會與一直被「一中」原則欺騙的日本­媒體

本節目使用日台的語言,傳播兩國的交流情報。
本集報導11月7號的馬習會。日本人應該透過這場會談看穿習近平企圖併吞台灣的野心與­馬英九的賣國姿態。,馬習會不是「台中首腦會談」,而是違反台灣民意的「國共中國人會­談」。指謫日本媒體對台灣地位的誤解及報導內容開始注重台灣的徵兆。
主播:永山英樹・謝惠芝

日本と台湾の交流情報を、日本語と台湾の言語で同時にお送りする情報番組。
「台湾チャンネル」第107回は、シンガポールで11月7日に馬英九総統と習近平国家­主席による台中首脳会談について。台湾併呑を目指す習主席が会談を仕組んだ狙いや、そ­れに呼応した馬総統の思惑、そしてそうした動きに反発した台湾国民の懸念などを分析す­るとともに、今回日本のメディアが見せた台湾問題への誤解と、その半面の台湾重視の兆­しを指摘する。
キャスター:永山英樹・謝恵芝

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千­人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、­全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html

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2015/11/15(日)

小川町談合疑惑で動き出す地元議員

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埼玉県比企郡小川町で行われている公共工事の入札で、95~100%の落札率が乱発していることで、「談合の疑いがあり...

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2015/11/13(金)

【インドネシア高速鉄道計画】壮大な中国のインドネシア属国化計画の始まりか

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この鉄道建設には
中国製の膨大な資機材と中国人が投入されることになる。
このため
インドネシアのジャカルタとバンドン間、政治経済の中枢部に多くの工場や倉庫が建設され
中国人技術者や労働者、またその家族の住宅建設も始まるだろう。(土地買収)

そして
この長期間鉄道建設の間にいくつかのチャイナタウンが出来上がることになる。
(人口侵略)

さらにこの次は
参政権の獲得だ。
ただ乗りインドネシアは反対することができない。
そしていずれ中国人の国会議員を輩出、中国人の大統領就任も現実味を帯びてくる。
(法律侵略)

こうなれば中国の太平洋侵攻・利権獲得は容易になる。
遠い将来
ハワイ沖に中国の軍艦が右往左往するようになる。




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2015/11/13(金)

【宮崎哲弥】朝日だけ異常に低い内閣支持率、なぜか消費増税には反対しないSEALDsや経済学者、身勝手極まりない新聞業界!!ザボイスそこまで言うか!2015年11月11日(水)

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2015/11/11 に公開
11月11日放送内容
オープニング
1. 53年ぶり 国産旅客機が初飛行
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=7m54s
2. 小6男児大麻吸引事件 高校生の兄を逮捕
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=13m23s
3. 北朝鮮拉致問題 国の主導を示す内部文書が存在
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=19m45s
4. 高木復興大臣 慶弔費問題について釈明
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=23m54s
ザフォーカス 新聞業界の終わりの始まり
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=28m18s
オープニング2 
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=34m44s
5. スー・チー氏 "次期大統領には権限はない"と発言
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=39m28s
6. 原田日銀審議委員 国内景気への懸念を表明
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=42m55s
7. 慰安婦問題で日韓局長級協議が行われる
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=50m33s
エンディング
https://youtu.be/I_YUf6FFJiU?t=53m46s

コメンテーター:宮崎哲弥


今後のコメンテーター出演スケジュール
11月12日(木) 青山繁晴(独立総合研究所社長)

11月16日(月) 勝谷誠彦(コラムニスト)
11月17日(火) 飯田泰之(経済学者)
11月18日(水) 有本香(ジャーナリスト)
11月19日(木) 青山繁晴(独立総合研究所社長)



【11月11日の出来事】

第一次世界大戦停戦記念日
1918年のこの日、ドイツとアメリカ合衆国が停戦協定に調印し、4年あまり続いた第­1次世界大戦が終結した。
主戦場となったヨーロッパの各国では、この日を祝日としている。

784年
桓武天皇が平城京から長岡京に遷都。

1881年
日本鉄道会社に設立特許条約書が下付。日本初の民営鉄道。


誕生日

1937年
養老孟司 (解剖学者『唯脳論』『バカの壁』)

1974年
レオナルド・ディカプリオ
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2015/11/13(金)

犯罪白書

犯罪白書

昨日13日、昨年の犯罪件数と傾向をまとめた「犯罪白書」が公表されたが、刑法犯の検挙人数が戦後最少と...

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2015/11/12(木)

11/12のツイートまとめ

hibi_tantan24

東京五輪に暗雲…山口組元幹部との交遊にJOC元役員も浮上(日刊ゲンダイ) https://t.co/3oja89MSOA
11-12 12:50

ロシア機墜落事件の犯人はイスラム国ではない? ロシア政府がテロ断定に慎重な理由(週プレNEWS) https://t.co/zImxsKvocW
11-12 12:52

安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた(リテラ) https://t.co/VrVwrbPAu9
11-12 12:53

「うちには警察OBが大勢いるから何しても無駄だ」あの大手不動産、ずさん管理の実態!(Business Journal ) https://t.co/SwViRJvWbf
11-12 13:00

TPP、語られぬ「毒素条項」の恐怖…国民の健康を脅かし、米国企業の金儲けを保護(Business Journal ) https://t.co/avJvWtQoFf
11-12 13:01

下着ドロ高木大臣に新疑惑 今度は年平均2300通の「弔電代」(日刊ゲンダイ) https://t.co/A8Fe8N4hTs
11-12 21:54

安倍首相が「改憲は緊急事態条項から」と明言! 自民党が目論むのはナチスと同じ手口、その危険すぎる中身とは…(リテラ) https://t.co/0rj42lno4H
11-12 21:56

銀行の政治献金復活をメディアはなぜ批判しないのか?(ダイヤモンド・オンライン :山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員] ) https://t.co/NL0KQM0kCy
11-12 22:11

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2015/11/12(木)

【資料:軍人の発言に見る「南京事件」】この資料は疑問だらけである。

 次の資料は抽象的であり、ははなはだ疑問である。
 南京攻略戦では攻略直前に敗走の蒋介石の中華民国軍が同胞の中国人を虐殺し逃亡していたということが明らかになっている。

これら大将の発言は虐殺している現場を直接自分の眼で観ていたものではない
大将クラスは後日南京に入城している。
したがって
既にシナ人の死体が多数、転がっていたという報告は受けていない可能性が大きい。
戦闘行動の上級部隊への状況報告は、分隊から小隊へ、小隊から大隊へと順を経て徐々に要約・統一され手短に成果が報告される。
既にシナ人の死体が多数あったとしても、戦闘行動中の将兵にとって、死体は敵でないので重要事項ではない。
「これは他の小隊がやったのか?」
戦闘実員指揮の小隊長には、死体の処置は戦闘行動中において任務外である。
死体に関心を集中させる余裕もない。
敵ではないという確認ができればよいのである。
疑問点はあいまいなので報告されないのが一般的だ。

報告は極めて重要であるが、受ける大将は「また聞き」の範疇を免れない。
[PDF]コミュニケーションゲーム(情報伝達の困難性)
高級将校にとって、南京を攻略できたことと今後の南京統治で手一杯であったであろう。
また敗走時の中華民国軍が流した「これは日本軍がやった」というデマも流されていた。
現在、親しくなった上海のお年寄りの多くは「あれは蒋介石軍がやったんだ」とこっそり教えてくれるそうだ。

大将クラスの「また聞き」の発言よりも、もし虐殺があったとすれば、戦闘行動を実員指揮した多くの小隊長の発言が重要だ。
この資料の限りでは、虐殺があったか不明であり、
虐殺がなかったかも不明である。

・・・・・・・資 料・・・・・・・
資料:軍人の発言に見る「南京事件」

 こちらは、当時の軍幹部が「事件」をどのように認識していたか、という視点の資料紹介です。 どれも掲示板で時々引用される文章ですが、ここでは極力関連部分全体を収録することにより、原文のニュアンスをより正確に伝えるように努めました。

 ときどき掲示板では「日本軍の軍紀は世界一厳正だった。従って南京事件はウソ」という趣旨の書き込みを見かけますが、 実際には、当の軍の上層部からして、「軍紀の乱れ」を嘆かざるをえない状況に陥っていたことがわかります。


 

<目次>



●松井石根大将


 南京攻略の総司令官として、「南京事件」の責を問われ、極東軍事裁判で死刑判決を受けた、松井石根大将の発言です。


花山信勝『平和の発見』より

  松井石根

 それから、あの南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に指摘して、つぎのような感慨をもらされた。

南京事件ではお恥しい限りです。

 南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。


 私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。 日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。 政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。 その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。 ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」

(花山信勝『平和の発見』P229)

*「ゆう」注 花山氏は、「教誨師」として、巣鴨拘置所にて、死刑宣告を受けた戦犯たちと面談しています。上記は、そのうち松井大将との、第四回目の面談の部分です。 前後を含むより長い引用は、こちらにアップしました。 なお原文には改行はありませんが、読みやすくするために、随時改行を行っています。


 
松井大将「支那事変日誌抜粋」より

五、我軍の暴行、奪掠事件

 
上海附近作戦の経過に鑑み南京攻略戦開始に当り、我軍の軍紀風紀を厳粛ならしめん為め各部隊に対し再三留意を促せしこと前記の如し。 図らさりき、我軍の南京入城に当り幾多我軍の暴行奪掠事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならさるに至れるや。

 是思ふに

一、上海上陸以来の悪戦苦闘か著く我将兵の敵愾心を強烈ならしめたること。

二、急劇迅速なる追撃戦に当り、我軍の給養其他に於ける補給の不完全なりしこと。

等に起因するも亦予始め各部隊長の監督到らさりし責を免る能す。

 因て予は南京入城翌日(十二月十七日)特に部下将校を集めて厳に之を叱責して善後の措置を要求し、犯罪者に対しては厳格なる処断の法を執るへき旨を厳命せり。 然れとも戦闘の混雑中惹起せる是等の不祥事件を尽く充分に処断し能わさりし実情は已むなきことなり。

 因に本件に関し各部隊将兵中軍法会議の処断を受けたるもの将校以下数十名に達せり。又上海上陸以来南京占領迄に於ける我軍の戦死者は実に二万千三百余名に及ひ、傷病者の総数は約五万人を超へたり(欄外)

 因に我軍南京攻略に関しては予は最初先つ軍を蘇州、湖州の線に停止せしめ、隊伍の整頓と補給の進捗を図り、除ろに正々堂々の攻撃再挙を行はん事を欲したりか、 我大本営全般の作戦計画上上海方面軍の一部を他方面に転用するの計画なりしと、 敗退せる敵軍の江南地方に其隊伍を整理する遑(いとま)を与へさるを有利とする関係上遂に急劇快速の進撃を決行する決せり。

 尚本作戦間江陰附近に於ける我海軍飛行機の米国軍艦パネー号爆撃及南京上流に於ける我陸軍部隊(橋本砲兵聯隊)の英国軍艦及商船砲撃事件等を惹起せるは遺憾なりしも、 こは敗退する敵軍は多く英米等の艦船を利用せるも尠からさりし事実と追撃戦斗間避く可からさる我部隊の興奮とに因り其過誤を招来するに至りたる次第にて、予は本件に対しても各部隊に対し厳重なる警告を与へたり。

 又我軍の南京入城直後に於ける奪掠行為に対しては特に厳重なる調査を行ひ、努めて之を賠償返還せしむるの方を講したり。 特に英米仏其他列国官民に対する賠償に関しては我外交官憲を介して努めて友諠的に本件の善処を図れるも、戦場内にある列国人の財産生命か自然戦禍の累を受けたることは已むなき次第と云はさるを得す。

(『南京戦史資料集Ⅱ』P185~P186)


*「ゆう」注 この資料には、以下の編者解説が付けられています。

「これは松井大将が昭和二十年十月十九日A級戦犯容疑者に指名され、翌年三月五日に巣鴨に入所する前(病気のため入獄延期)に記したもので、 いわば極東軍事裁判における訴追の対策としての覚え書である。従って史料としての価値は低いが、最大の訴因と松井大将が予想した、 いわゆる「南京事件」についての認識や、弁明の方向づけなどを探るには貴重な資料といえよう。」(同書 P6)



 



●畑俊六大将


 松井大将の後任として、昭和十三年二月十四日より「中支那派遣軍司令官」を勤めた、畑大将の記述です。


『陸軍大将 畑俊六日誌』より

 昭和十三年二月十四日 中支那派遣軍司令官


一月二十九日

 本日より二月六日まで第七師団、第八師団留守隊の教育状況視察の為北海道、弘前地方に出張。

 支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少からざる様なれは、此際召集予后備役者を内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、 又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の召集者も逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり。

 此意見を大臣に進言致しをきたるが、出張前大臣に面会、西尾、梅津両中将を南北軍司令官たらしむるを可とする意見を申述べ出張したる処、意外にも二月五日夕青森に到着したる処本部長より特使あり書状携帯、 それによれば次官、軍務局長は余を松井の后任に推薦し、余の后任は西尾を可とする意見なりとの内報に接し聊か面喰ひたる次第なるが、とにかく帰京の上とし六日朝上野に帰着したる処、 中島参本総務部長駅にて待合せ本部長の来信の如き意味を伝へ、次で大臣より面会したしとのことにその足にて官邸に至り大臣に面会したるに、大臣より上述の如き申出あり。

 上海は方面軍と二軍司令部との折合兎角面白からず、此際現役者を以て交代せしむるを適当とすべく、又海軍の長谷川中将には古荘より先任なれば大将を以てしたり。

 小磯は大臣が推薦したる処外へ出すことは参謀本部側にて到底承諾せず、中村は病気なり。又あまり細かすぎ適任ならず。結局余の外なければ行て貰ひたしとのことに考慮を約して辞去したり。

(みすず書房『続・現代史資料4 陸軍(畑俊六日誌)』 P120-P121)
 


2008.8.10追記 さらに畑は、戦後にこのような回想を残しています。


『南京の虐殺は確かに行われたか』より

 昭和十三年二月、私は松井石根大将のあとをうけて上海に到着した。私は直接には兵団と関係がなかつたので、各郷土の特質についてはあまりよく知らないが、 上海に到着するまで、南京の虐殺ということは夢にも考えていなかつた。

 南京に到着してみても、なんの痕跡もなかつたし、人の耳にも入つていない。ところが、東京裁判が始まると南京虐殺の証拠が山のように出された。

それがために松井石根大将はついに悲惨な最期をとげられた。

 それも運命と思えばあきらめられないこともないが、いまにして思えば、南京の虐殺も若干行われたことを私も認めている。 そして虐殺ばかりでなく、掠奪もたしかに行われていた。

 けれども、これは戦場という特種の環境の下ではたらいた心理作用のなせる業で、平静にかえつたとき、これを責めるのも無理だと思つている。

 もともとこの裁判の遠因が、いわゆる復讐のための裁判だつたのだからやむをえないことだろう。

(『丸』エキストラ版 Vol 15 P76)
 





●岡村寧次大将


 岡村大将は、1938年6月、「第十一軍司令官」に就任、終戦時には「支那派遣軍総司令官」の地位にありました。


『岡村寧次大将資料』より

 「第四編 武漢攻略前後」

 三 戦場軍、風紀今昔の感と私の覚悟

 私は、従来書物によって日清戦争、北清事変、日露戦争当時における我軍将兵の軍、風紀森厳で神兵であったことを知らされ、日露戦争の末期には自ら小隊長として樺太の戦線に加わり、 大尉のときには青島戦に従軍し、関東軍参謀副長および第二師団長として満州に出動したが、至るところ戦場における軍、風紀は昔時と大差なく良好であったことを憶えている。

 それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、 それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に努力しなければならないと覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、 それはわれらの目的は蒋介石の軍隊を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て接すべしというに在った。

 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。

一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。

 註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。

一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。

一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。

 七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、 十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。 わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。

 以上の諸報告により、私はますます厳格に愛民の方針を実行しようと覚悟を決めたことであった。

(『岡村寧次大将資料』(上) P290~P291)

*「ゆう」注 「岡村寧次大将資料」については、 こちらのコンテンツで詳しく紹介してあります。
 


 



●河辺虎四郎・参謀本部作戦課長


「最後の参謀次長」として知られる河辺虎四郎氏は、南京事件当時、「参謀本部作戦課長」の地位にありました。回想録『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』より引用します。


河辺虎四郎『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』より

 作戦休憩案

 こうした一般の情勢のほかに、軍中央部の一員である私どもにとり、はなはだ気になってきたことは、戦場軍隊の士気であった。

 前年の夏動員された在郷の将兵は、"お正月までには帰って来るヨ"と妻子を慰撫して家を出た者も少なくなかった。一気呵成にここまで来たものの、 前途果たして如何になるか、"”相手にしない"といってみたとて、相手がこちらを相手として来る「戦争」というものの本質をどうしよう。

 華北にせよ華中にせよ、戦場兵員の非軍紀事件の報が頻りに中央部に伝わって来る。 南京への進入に際して、松井大将が隷下に与えた訓示はある部分、ある層以下に浸透しなかったらしい。

 外国系の報道の中には、かなりの誇張や中傷の事実を認められたし、殊にああした戦場の常として、また特に当時の中国軍隊の特質などから、避け得なかった事情もあったようであるが、 いずれにせよ、後日、戦犯裁判に大きく取り扱われ、松井大将自身の絞首刑の重大理由をなしたような事実が現われた。

 南京攻略の直後、私が命を受けて起案した松井大将宛参謀総長の戒告を読んだ大将は、”まことにすまぬ”と泣かれたと聞いたが、もう事はなされた後であった。

 そこで私らは、今後如何なる態勢に移るにしても、まずもってこの際戦場に新鮮な補充兵を送り、軍隊士気の一新是正をすることが肝要だと痛感した。 そしてそれがためには、夏季を含む数カ月間、 中国戦場にある各兵団に対し、その戦面を現在線より拡大することを禁じ、占拠地を確保して防支の姿勢を固め、兵員の新陳代謝と、正しい意味の戦場慣熟の訓練をさせるべきだと信じた。

 この趣旨は上司からの同意を受け、海軍側も遂に了承してくれたので、御前会議においての決定を仰ぎ得た。

 私はこの決定をもって、昭和十三年二月末東京を発し、北京(寺内大将)、張家ロ(蓮沼中将―後の大将)、新京(植田大将)および京城(小磯大将)の各軍司令部を歴訪し、各長官に直接伝達した。

 華中方面(畑大将)には、その軍参謀長(私の実兄、正三少将)が新任に際し、ちょうど東京に来たので、これに伝えられた。

 京城に私が行ったとき、小磯大将は、"大本営の決定をとやかくいうのではなく、この趣旨を遵奉するのであるが・・・″と前置して、個人の所見を君(私)の参考にまでとて、 大将の腑に落ちぬ諸点を一席述べられたが、私が”戦略上の御所見まことにどもっともと存じますが、軍隊の実情私らの見るところかくかく・・・と述べたところ、 大将の独特な明快さをもって、"そうか、よくわかった、御苦労さま"との緒言を吐かれた。

 右のように一応全軍的に、「作戦休憩案」が伝わったのであった。しかしそれは忽ちに崩れたらしく、私はこの直後に転任して後ほどなく、徐州会戦が起こった。

(『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』P153~P154)






●真崎甚三郎大将


 最後に、「2.26事件」の黒幕とも言われた、真崎甚三郎大将の日記です。家を訪問してくる人々から、「北支」や「上海方面」の、「軍紀風紀頽廃」「掠奪強姦の例」を嘆く言葉を聞いています。


『真崎甚三郎日記』より

(一九三八年)一月二十八日 金 晴

 九時より約一時間散歩。

 十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く。同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交 へて研究せり。従て同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し 之を建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずという云ふに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり。

(『真崎甚三郎日記 昭和十一年七月~昭和十三年十二月』 P263)



四月一日 金 晴

 塚原君四時半に来訪、予を伴ひ共に築地四丁目藍亭に至る。上海毎日新聞社長深町君を主賓として其の談を聞けり。会する者小寺、米田、森及勝次なり。 別に耳新しきことあらざるも軍の不統一、掠奪強姦の例、支那が降伏せざること等に関する談話なりし。十一時に米田、森等と共に帰宅す。十二時まで語る。

(同 P291~P292)


 
(2004.7.31記 2008.8.10追記)
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